「神々の島」と呼ばれる壱岐で、六百年以上ものあいだ伝統的に続いている神事がある。冬の日の昼から夜にかけ、島を代表する十一社の神社の神職たちがひとつの神社に集い、仮面や剣を手に舞い、踊る。
神楽のなかでも特に大がかりで特別視されるそれは、“大大神楽”と呼ばれる。十二月二十日、年に一度の壱岐大大神楽の日に、舞台となる住吉神社を訪れた。

神楽という言葉は、神の宿るところを意味する“神座かむくら”に由来するという。
古事記や日本書紀の神話によれば、天照大神あまてらすおおみかみが天岩戸に引きこもり、神々の住む世界が闇に覆われた際に、女神が足を踏み鳴らして踊り天照大神を天岩戸から出すきっかけを作った。その振る舞いこそが、あらゆる芸能や“神楽”のはじまりであるそうだ。つまり、神楽は歌や舞によって、ひと時だけ私たち人間の住む世界に“神を宿らせる”ための儀式なのだ。

そう聞いて、いかにも退屈で謎めいた儀式を想像する人もいるかもしれない。しかし、古くは“神遊び”とも呼ばれていたという説があるように、神楽は神聖なる“遊び”の場でもある。神と人が一体になり、神楽殿のなかで時に伸びやかに、時にアクロバティックに舞う。

一四時を前にして、大大神楽の舞台である住吉神社は徐々に賑やかになってきた。女性はその周りを右回りに、男性は左回りに一周すると良縁に恵まれる、という言い伝えのある“夫婦クスノキ”を、物珍しそうに眺める観光客も多い。

 
神社のなかに設けられた神楽殿にも少しずつ人が集まりはじめた。隣の席に腰を下ろした年配の男性から、だんだん冷え込んでくるから、カイロ貼っとかんとしんどいけんね、と声をかけられる。
その隣に座る、行儀よく背筋を伸ばした子どもは神楽を舞う神職の家族なのだろう。舞台の袖を凝視しては、父の登場を見逃すまいと目を細めていた。

舞台の上に、月読神社や男嶽神社といった名高い神社から集められた一三名の神職たちが揃う。定刻をすこし過ぎたころ、厳かに大大神楽がはじまった。

神楽はふつう、一般の楽人(演奏者)によって演奏されることが多い。しかし壱岐神楽は代々、宮司や禰宜ねぎといった神職に就く者によってのみ演奏される。その歴史は非常に長く、室町時代の中頃に記された壱岐に残る古文書のなかに、すでに「神楽舞」の記述があったというのだから驚きだ。全国的にみてもかなり特殊なこの神楽は、国から重要無形民俗文化財の指定も受けている。

「小麻祓」こまばらいで清められた場内に、静かな笛と地面を揺るがすように力強い太鼓の音が響きはじめた。この歌と舞は、夜が更けるまで続くのだ。年にたった一度の、住吉神社の長い夜がはじまった。

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年に一度、神社が眠らない夜のこと――壱岐大大神楽【前編】

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