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壱岐市芦辺町。海もほど近い住宅街のなかに、秘密基地のような一軒の空き家がひっそりと建っている。レトロな衣装箪笥や食器棚が所狭しと立ち並ぶこの家は、かつて、大曲詩摩さんの祖父母が営む衣料店だったという。

「子どもの頃、お盆や正月になると決まって、実家から祖父母が住むこの家に遊びにきていたんです。自分にとってもワクワクする思い出深い場所だったのですが、祖父母が亡くなり、二〇一五年の春にこの家を守っていた叔父も亡くなってからは空き家になってしまって……。

そのままじゃもったいないと思い、三年ほど前から、関東の友人たちに自由に泊まってもらう合宿所のように使わせてもらっていたんです。そんな時期を経て、今年から、この場所をシェアハウスとして生まれ変わらせることにしました」

この空き家で、五名の“起業家的に生きる人”たちが中心となって住まい合い、さまざまな事業を育んでいくというプロジェクトがいま進んでいる。

プロジェクトの名前は「壱岐YOYO」。島民によるワークショップ、海外のアーティストによるワークショップを通して多様性を育む「ARTLAND IKI」や、壱岐の大自然を活用した「どこでも勝手にリトリートプロジェクト」など、さまざまなユニークなアイデアを形にするべく活動中だ。

このシェアハウスに住むメンバーたちは全員、壱岐島外からの移住者。しかも、この中の半数が大曲さんを含め、多拠点生活者だという。このプロジェクトの拠点のひとつとなるシェアハウスプロジェクトに携わることになった理由を尋ねると、彼女は“翻訳”という言葉を使った。

「関係者に壱岐出身者がひとりでもいると、島の人たちも安心してくれるかなと思って。この人はこんなことを考えている人だから安心してね、というのを、島民に対してもプロジェクトメンバーに対しても、“翻訳”できる存在でいたいなと思ったんです」

 
 

「壱岐YOYO」を立ち上げたのは、大曲さんがかつて神奈川県茅ヶ崎市のシェアハウスに住んでいたときのシェアメイトだという。
大曲さんは上京以来、東京近郊のさまざまなシェアハウスで暮らしてきた。二〇一七年からは葉山町のシェアハウスを自ら運営する立場となり、葉山と壱岐を交互に行き来する生活を送っている。

「シェア生活が好きで、葉山の家がシェアハウス五軒目なんです。壱岐と関西のことしか知らなかったので、関東のいろいろな場所を少しずつ深く知りたいと思って、二年置きくらいにいろんなタイプのシェアハウスへと引っ越しを繰り返してきました。そうすると、さまざまな価値観に触れられると同時に、ふるさとが少しずつ増えていき、あわせて家族も増えていくみたいで楽しいんですよね」

シェアメイトたちに壱岐の料理を振る舞ったり、壱岐の話をしたりすると、皆「行ってみたい」と口を揃える。仲間たちを連れて壱岐に帰るたびに壱岐のファンが増えていくのが嬉しくて、島内での交流会や、マリンスポーツの「SUP」で島を巡るツアーなども企画したという。

「東京に出てきて、島からはるか離れた場所に住んでいるいまだからこそ、改めて壱岐と向き合えるようになったんだと思います。葉山という、壱岐と同じく海が近い小さな町に家を構え、揺るぎない自分の居場所ができたことで、壱岐をきちんと外から見つめられるようになったのかな、と」

かつて桂米朝さんが立ち上げた事務所に所属し、一度は自分から距離を置いてしまった「落語」にも、時間と経験を経たからこそ向き合えるようになった。数年前からは、関東圏などで開催される落語会を客として楽しむと同時に運営の補助もおこない、二〇一七年の夏には、壱岐で初めてとなる手作り落語会のコーディネートもした。

「いつからか、長いあいだ脈々と続いてきた落語会という文化を、関東だけではなくいろんな地域で、時には噺家さんを迎える側になるなど視点と角度も変えながら、少しでも次の世代に受け継いでいきたいと思うようになったんです。

二年前、壱岐で初めての落語会を、島在住の方々と力を合わせて開催することができたのは本当に嬉しかったですね。私自身が子どもの頃、壱岐で落語を見ることができなかったから、いま壱岐にいる子どもたちにはその体験を楽しんでほしいなと思って。いつかその子たちが島を離れるときが来たとしても、壱岐ならではの神楽やお祭りにも通じる落語の“お囃子”の音を、耳で覚えていてくれたらいいなと思うんです」

いつでもアクティブに動き回っている彼女だが、壱岐のためになにかしなければ、という“使命感”は意外にも強くないのだという。

「壱岐出身でいま都市部に住んでいる人のなかには、かつての私のように、壱岐をどこか遠く感じてしまっている人も多いかもしれません。でも、そんなに肩肘を張らなくても、遠くに軸足があるからこその視点でいまの壱岐を見つめてみたら、リモートワークや多拠点生活、複業など、自分にもやれそうなことややりたいことっていろいろ思いつくんじゃないかと思うんです。

実際に私もそう思えたし、島で頑張っている同級生たちをはじめ、味方になってくれる人がたくさんいるということにも気づけた。だから私は、そういう人と壱岐を結びつける橋渡しができる存在でいたいです。それは使命感ではなく、シンプルに“楽しい”から。ただ、それだけなんです」

そう言って朗らかに笑う大曲さんは、本当に、いまがいちばん故郷のことを好きなのだろう。

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壱岐と島外をつなぐ「翻訳家」でいること【後編】

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