川沿いを歩いていると、冷たい風が首筋を撫でて思わず身震いをした。花冷えとでもいうのだろうか、この季節のひやりとした寒さは、二日酔いの体にはなかなかこたえる。

 
携帯のマップを見ながら、妻に教えられた公園を目指す。時折、顔を上げると、川沿いに立ち並ぶ満開の桜が目に入った。こんなに近くで見られるのだから、わざわざ場所をとって花見なんかしなくても、と苦笑いしそうになるが、桜の花の可憐さにはどうしても顔がほころんでしまう。

今年の見頃は四月上旬、と聞いていたのに、蓋を開けてみればこの時期にはもう散り始めている桜がある。昨晩、職場の飲み会から帰ると、妻が「今週末を逃したらもう葉桜になっちゃうから」と花見に誘ってきたのだった。

 
それはいいけど、と言うと、待っていたとばかりに「場所取りよろしくね」と笑う。聞けば、近所に住む友人も何組か誘っているそうで、場所取りは任せてくださいと伝えてあると言う。私は買い出しするんだからそのくらいはしてよね、と言われ、それは朝寝ていたいだけだろう、とは言い返せなかった。

 
 
朝八時の公園はさすがにまだ人もまばらで、犬の散歩をさせる人たちやランニングをしている人たちが時折通りかかるくらいだった。皆、桜が咲いているせいか、その表情もどこか浮かれているように見える。
大きな木の下にシートを広げて辺りを見渡すと、同じく場所取りを頼まれたのであろう若い男性やお父さんたちが、所在なさげに本を読んだり仮眠をとっているのが見えた。気の毒だけれど、どこも同じなんだな、と笑いそうになってしまう。

妻が友人や近所の人たちを連れて現れたのが昼過ぎだった。皆それぞれ手に食べ物や飲み物の袋を下げ、子どものいる夫婦はテニスラケットやシャボン玉も持っている。早くからすみません、ありがとうございますと皆に頭を下げられるたびに、いえいえこのくらいは、と妻が返す。帰ったら文句のひとつでも言ってやろう、と思った。

 
 
乾杯、の合図で宴会が始まる。
近所に住む若いお父さんがすぐにこちらに寄ってきて、場所取りの礼を言ったあと、「朝からいらっしゃったらもう見飽きちゃったでしょう」と苦笑した。

 
そう言われて改めて桜を見上げてみると、いや、そうでもないなと思った。白や薄桃色、鮮やかなピンクの花があったり、蕾によって咲き方がまったく異なったりして、同じ花とは思えないほどに表情が豊かだ。

「最近は会社に行くまでの道で毎朝見てたんですけどね、こうやってだらだらと酒飲みながら見る桜って、全然別の花に見えますよね」

ニコニコと笑いながらそう言う彼のもとに、「パパ!」と子どもが走り寄ってきた。早くも酔いが回ってきたのか、少し面倒そうに「あっちで遊んでなさい」とふたりの子どもを追い払う彼を見て、思わずようし、と立ち上がる。

子どもたちに付き合って鬼ごっこをしていると、周りの花見客の様子もよく見えた。フィルムカメラで写真を撮る女子高生、音楽を流しながらはしゃぐ若い男女の集団、ベンチで照れたように桜を見上げる若いカップル。そのどれもが春の陽気を言い訳にして浮かれ、騒ぎ、酒を飲んでいるように見えて、こんな季節がずっと続けばいいのに、と柄でもないことを考えてしまった。

「鬼のおじさん! ちゃんと本気で走って!」
ぼんやりしていると、遠くにいる子どもに檄を飛ばされた。父親の彼がすみません、と頭を下げるのが見えたが、子どもの素直な物言いに思わず笑ってしまう。言われたとおりに全速力で走ると、すぐに全員を捕まえてしまった。
ゼエゼエと肩で息をするこちらを見ながら、妻が「鬼のおじさん大人げないなあ」と呆れたように言う。酒宴は中盤に差しかかり、大人たちは、誰かが土産で持ってきた焼酎を飲んでいるようだった。皆、ほんのりと顔が上気している。

シートの上に寝転んで空を見上げると、額に花びらが落ちてきた。ああ、俺はこんな日のために普段働いてるのかもしれないな、と、またもや柄でもないことを考えて目を閉じる。

 
 

【壱岐のあれこれ#12】

春といえば桜ですが、その季節の少し前、春の訪れを感じさせる風物詩に「春一番」があります。実は、その言葉の由来は壱岐島にあるということをご存じでしょうか。

壱岐の港町、郷ノ浦町(現・壱岐市)では、昔から春の初めに吹く風を「春一」「春一番」と呼ぶ風習がありました。1859年の春、漁に出た船がおりからの強風によって転覆し、50名以上の死者を出すという痛ましい事件があり、この「春一番」という言葉が広まっていった、というのが由来とされています。

郷ノ浦港近くの元居公園の中には、「春一番の塔」も建てられています。壱岐を訪れた際には、春一番の塔にも立ち寄り、その歴史を感じてみてはいかがでしょう。

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花のある午後

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