音がしないように玄関の引き戸を閉めて荷物を下ろすと、そげん泥棒みたいな入り方して、と母に後ろから声をかけられた。

「ごめん、起きてると思わなくて。ただいま」
「なーにしとったのよ。こんな時間、もうフェリーもないでしょうが」
「さっきまで近くで友達と飲んでたから」

あした二日酔いでもお母さん知らんけんね、とぼやきながら、母は寝間着姿で部屋に戻っていく。

「あ、お父さんは?」
「まだよ。今日も仕事よ、お父さんは」

時計を見ると二三時だった。今日くらい早く帰ってきてくれてもいいのに、とは口に出さない。

島に帰ってくるのは一年ぶりで、フェリーから降りると海の匂いがした。
小さい頃は海の匂いなんて感じたことがなかったのに、大人になるとわかるものなのだろうか、と隣を歩く裕太に言うと、「それが『帰る』ってことなんじゃないの」と目を細めて言う。

「都会育ちの人にそういうこと言われると、なんかむかつく」
「なんでだよ。羨ましいよ、帰る場所がふたつあるのは」

東京でいま裕太と暮らす家と、生まれ育ったこの島の家。たしかに私には、帰れる場所がふたつある。そう言われると、この長旅も悪くないなという気になった。

 
 

友人を交えた飲み会を終えて居酒屋を出ると、もう夜は深くなっていた。
前日くらい親子水入らずで過ごしなよ、という裕太の提案には散々首を振ったが、僕はもうホテルとってあるから、と話を聞かない。

「だから、何度も言うけどうち親子仲そんなによくないんだって。裕太も来てよ」
「そんな風には見えないけど」

彼は笑いながらタクシーを呼ぶと、私の実家の場所と式場に近いホテルの場所を二箇所、運転手に告げた。

居間でウトウトしてしまって、目を覚ますと日付が変わっていた。
眠りながら昔の夢を見た。私は小学生で、珍しく父と母と私が三人揃った日曜日の午後の夢だった。
植物の観察日記をつける冬休みの宿題があった。私はノートに庭に咲いた赤い花の絵を描き、その横に「つばき」と文字を入れた。

「それ、椿じゃなか。山茶花でしょう」
母が庭に出てきて、葉に手を伸ばして言う。細い日差しがその花に注いで、葉脈を黒く浮かび上がらせた。
「葉がギザギザしてるやろ、ね、似てるけどこれは山茶花」

私がキョトンとしていると、部屋から出てきた父が、「今年も椿がたくさん咲いたなあ」と間延びした大きな声で言った。
私と母は顔を見合わせて、父より大きな声で笑ったのだった。

 
 

洗面台で顔を洗っていると、玄関の引き戸がガラガラと音を立てて開いた。
「お父さん」
父は私を一瞥すると、ばつが悪そうに「起きてたのか」とつぶやいた。そのまま、一直線に台所に入っていく。

「水飲むの? 入れようか?」
「いい、いい。早く寝なさい」
奥の戸棚から箱に入った焼酎を出した父は、それをグラスに注ぎ始めた。

「えっ、飲むの? こんな時間から?」

まあまあ、と私を制しながら、ストレートの焼酎をあおるように飲む。
台所の調理台に肘をついた父は、さほど酔ってはいないようだった。
じゃあ私も付き合う、と言うと、父は一瞬驚いた顔をしたが、なにも言わずにグラスをもうひとつ出した。

 
 

父はしばらく黙っていたが、やがて独り言のように、「いい式になるといいな」と言った。
「地味な式だよ。友達も呼ばないし」
「そういうことじゃないだろう」
台所に並んだ私が酒をひと口飲むと、ごくり、という音が響いた。

「おまえみたいなのんびりした子が、東京の男と結婚するとは思わなかった」
「お父さんも東京の男でしょう」
「島の女と結婚したんだから、俺はもう島の人間だよ」

子供のような言い草に笑ってしまいそうになる。私が口を押さえて俯くと、父は怪訝な顔をした。

「おい」
「なに?」
「いいか、俺はそんなに物わかりのいい親じゃないぞ。もし嫌になったらとっとと帰ってこい」
父はこちらを見ずに、ひと息で言う。今度こそ堪えきれず、笑ってしまった。

翌朝、父は頭が痛いと繰り返し、「そげん飲んで帰ってくるから、大事な日に」と叱られていた。台所のグラスは綺麗に洗って戸棚にしまったので、きっと母には気づかれない。
式まであまり時間がなかった。急いで支度をして家を出ると、庭の山茶花は満開だった。

 
 

【壱岐のあれこれ #10】

誕生日や結婚式、還暦祝い……。そんな“ハレの日”のお酒というと、シャンパンやワインといった洋酒をイメージされる方が多いかもしれません。
しかし、焼酎や日本酒が好きな人に贈り物をしたり、酒席を共にするのであれば、そんなシーンでも和酒を選びたいところ。最近では、焼酎や日本酒でもラベルに名前やメッセージを入れたり、生まれ年のお酒を選べるサービスもあります。

結婚祝いにおすすめなのは、和酒好きの人の中で最近密かに人気を集めつつある“樽熟成焼酎”。スペインで使用された樽で長期熟成を行うことによって、焼酎らしいまろやかな旨味とウイスキーのような深みのある香りが感じられる、いいとこどりの焼酎です。夫婦仲がお酒のように“熟成”されてゆくように、という縁起のよいメッセージも込めて、贈り物に樽熟成焼酎を選んでみるのはいかがでしょうか。

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山茶花の朝

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