「酒も豆腐も饅頭もみんなうまい」。そんな豪快な句を詠んだ男がいる。酒と旅に一生を費やした、自由律俳句を代表する俳人・種田山頭火だ。

 
山頭火の手記には、そこかしこに酒が登場する。流浪の俳人は、朝目覚めては酒を飲み、月を見ては酒を飲み、雨が降っても酒を飲んだ。出家して四国八十八ヶ所を巡礼したときには、乞食同然の生活を送りながらも、やはり酒だけはやめなかったそうだ。最晩年、彼は自らの人生を振り返ってこう評している。
「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」。

アルコールを創作のための燃料とした物書きは、山頭火にかぎらない。
海外に目をやれば、酒と女をこよなく愛したアメリカの詩人、チャールズ・ブコウスキーがいる。彼の酒豪、もとい酒乱ぶりは、還暦を前にして恋人とともにロシアに渡った旅の紀行文によく表れている。

ブコウスキーの飲み方はとにかく派手だった。飛行機内の酒をすべて飲みほし、泥酔したままでテレビ番組のインタビューに出てしまう。共演者にいやな顔をされてもお構いなしで、酔っているのが当然であるかのごとく、飲み続ける。
彼の詩や小説に登場するのは、皆、彼の分身のように、酒と女に溺れる自堕落な生活を送っている人物ばかりだ。

 
ブコウスキーは、酒呑みが主人公の一篇の小説のあとがきに、こんな言葉を書き残したことがある。「うまく世渡りができず、いまにも爆発しそうな怒りを腹に呑んだまま生きているくせに、それでもなお悪いのは自分なのだと知っているすべての者のために、この小説はある」。

“悪いのは自分なのだ”。そう分かっていても、人は酒を飲んでしまうものらしい。
昭和の文豪・太宰治もかつて、「酒を呑むと、気持を、ごまかすことができて、でたらめ言っても、そんなに内心、反省しなくなって、とても助かる」だなんて、言い訳じみたことをエッセイに書いていた。

放浪者の俳人に、破天荒なカルト詩人。そして、酒で心の平静を保った小説家。
彼らはまさに、“酒とともに”生きた男たちだった。

 

……では、自分にとって酒とは? そう自問自答してみる。
人生の伴侶、というほどに深くは依存していないし、気心の知れた友達、と言うにはちょっとまだ、酒のことを知らなすぎる。そんな気がする。

けれど、無類の酒好きで知られた作家・山口瞳は、かつてエッセイにこんなエピソードを書いていた。
休みの日、家族で蕎麦屋に行くと、ビールを注文した若いカップルが目に入る。彼らは仲睦まじい様子で喋っていて、ふたりのコップには、それぞれ八分目ほどの酒が残ったままになっている。
泡も消え、ぬるくなったビールはきっとまずいはずだ。左党で知られ、世界の美酒を飲みほしてきた山口はしかし、それを見て思う。「酒なんて、それでいい」と。

 
酒なんてそれでいい。人生を酒に捧げた物書きたちには怒られるかもしれないが、そんな気楽な気持ちで口にする酒もいいじゃないか、と思いながら、山口の愛した焼酎をちびりちびりと飲む。

 

【壱岐のあれこれ#6】

今回ご紹介したのは、酒と縁の深い作家たち。
山頭火は日本酒を、太宰治は“禁断の酒”と称されたリキュール・アブサンを、ブコウスキーに至っては、「酒ならなんでも」好んで飲んだと言われています。

そして、山口瞳をはじめ、坂口安吾や草野心平といった作家が特に愛したのが、“焼酎”。ひと言で焼酎と言っても、実は「甲類(連続蒸留焼酎)」「乙類(単式蒸留焼酎)」「混和焼酎」と三種類に分けられることをご存じでしょうか。
このなかで、「乙類」に当たるのがいわゆる“本格焼酎”。代表的なのが、長崎県・壱岐で作られる「壱岐焼酎」です。本格焼酎は、麦や芋といった原料の風味が強く残る蒸留法で作るので、加水しても焼酎本来の旨味が損なわれないのが大きな特徴です。
焼酎選びに迷ったら、ラベルに「本格焼酎」の文字があるものを買うのがおすすめ。悪酔いせず、名前どおりの“本格的”な旨味が楽しめます。


(※「物書きと酒」参照
・種田山頭火『山頭火句集』
・チャールズ・ブコウスキー『ブコウスキーの酔いどれ紀行』
・太宰治『太宰治全集』より「酒ぎらい」
・山口瞳『酒呑みの自己弁護』より「炎天のビール」)

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物書きと酒

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