“壱岐”の文字が入った金のラベルのパッケージに、琥珀色の焼酎が詰められた『壱岐スーパーゴールド22』。焼酎好きの人であれば、居酒屋やバーなどで一度は目にしたことのある銘柄ではないだろうか。

この焼酎が琥珀色をしているのは、スペインで使用されたホワイト・オーク樽に貯蔵し、熟成されているからだ。樽貯蔵された焼酎は、樽から溶出された色素と移り香の影響で芳醇な味わいになる。『壱岐スーパーゴールド22』は、壱岐焼酎らしい爽やかさと樽熟成による華やかな風味を併せ持つ、ファンの多い一本だ。

「樽貯蔵の焼酎はいまでこそメジャーになりましたが、じつは我が社は昭和三六年から樫樽貯蔵をおこなっているんです。これは壱岐島内だけでなく、全国から見てもかなり先駆的でした」

そう語るのは、『壱岐スーパーゴールド22』の蔵元・玄海酒造の山内賢明会長だ。昭和四○年代、東京オリンピックや大阪万博の開催にともなう好景気や海外での蒸留酒ブームなどが追い風となり、日本では第一次焼酎ブームが巻き起こっていた。そのころはまだまだ珍しかった樫樽貯蔵の焼酎は、おもに壱岐島を訪れる観光客の土産ものとして、当時から高い人気を誇っていたという。

その後の昭和五〇年代にも焼酎はブームとなり、日常的に消費されるお酒として日本にすっかり根づいたかのように見えた。しかし、その人気に影を落とす原因となったのが、“鉄の女”こと当時の英国首相・サッチャーの政策だった。

「当時、ウイスキーには本格焼酎と比べて高い酒税がかけられていたのですが、日英の貿易不均衡を不服とした英国が、当時の竹下内閣に酒税の制度変更を迫ってきたんです。サッチャーの言い分はこうでした。

『ビールを蒸留したお酒がウイスキー、ワインを蒸留したお酒がブランデー、そして清酒を蒸留したお酒が焼酎でしょう。世界的に見ればビールよりもウイスキー、ワインよりもブランデーのほうが高価なのは、蒸留という手間がかかっているからです。にも関わらず、日本では焼酎よりも清酒のほうが高価なのはどうしてですか? 焼酎の酒税は安すぎます、もっと引き上げるべきなのでは?』」

その言葉どおり、平成元年、本格焼酎の酒税は一リットル当たり二〇円近くも引き上げられることとなる。酒税の引き上げに伴い価格も高くなり、焼酎の消費量が減少したことで、平成初期になると、焼酎ブームにも徐々に翳りが見られるようになってきた。

 
 

とはいえ、うちはまだ大丈夫だろう──と山内は考えていたという。というのも、当時の玄海酒造にはすでに、壱岐島内を中心とする人気銘柄・壱岐ブルーと壱岐グリーンがあったからだ。

「そんなとき、『玄海酒造さんは樫樽貯蔵については長い歴史をお持ちなのだから、この機会に樽貯蔵の新しい商品を出してみてはどうか』という提案を東京の問屋さんから受けたんです。『いや、うちには壱岐ブルーとグリーンがあるから……』とはじめは思っていたのですが、あるとき、壱岐から東京に向かう飛行機のなかで、たしかにそろそろ新商品を出さなくてはいけないのではないか──という考えが頭をよぎりました。

というのも、企業はひとつの人気商品にだけ頼っていたら、いつか必ずだめになるときがくるという意識があったからです。最低でも五年に一度は新しい商品を出し、消費者を飽きさせないでいるべきだと私は思っています。だから、酒税の引き上げという向かい風が焼酎業界に吹いているいまこそ、新商品を開発してみようと一念発起したのです」

当時、玄海酒造にはすでに『壱岐スーパーゴールド33』という、アルコール度数三三度の樫樽貯蔵の焼酎があった。「33」という一見半端にも思える数字は、壱岐島の北緯が三三度であることと、玄海酒造の初代が焼酎製造免許を取得した日が明治三三年三月三日であったことに由来している。

樽貯蔵の新商品を出すのであれば、それよりもすこしアルコール度数が低く飲みやすいものを造ろう。33と同じゾロ目の『壱岐スーパーゴールド22』はどうか? ──そんなアイデアで生まれた『壱岐スーパーゴールド22』は、22という数字にちなんで、平成二年二月二十二日に発売されることとなった。

「はじめは、『壱岐スーパーゴールド22』は東京を中心に売り出したいと思っていたんです。ところが意外なことに、まず壱岐島で人気に火がつきました」

『壱岐スーパーゴールド22』の人気の発端となったのは、島内の旅館や料理屋で壱岐を訪れた旅行客がこの商品を飲み、口をそろえて美味しいと絶賛したことだったという。

「当時はまだ色のついた焼酎というもの自体が少なく、旅行客の方が珍しがってよく注文してくれていたんです。飲んでみるとこれが芳醇でうまい、ということで大変な話題になり、一時期は、酒造場が開く前の早朝から小売店の人が会社の前に何人も並んでいる……なんてこともありました」

島内で一斉を風靡した『壱岐スーパーゴールド22』は、全国区で売り出されるようになってからも、じわじわとその人気を広げていった。普段はもっぱら洋酒を飲むという人や焼酎にはあまり馴染みがないという人、女性たちにも強く支持されたことが人気の引き金となり、現在では『壱岐スーパーゴールド22』は、玄海酒造のなかでもっとも売れている銘柄となっている。

今後はこの焼酎の魅力を島外にも発信し続け、よりいっそう定番として支持されるような銘柄にしていきたい──と山内は語る。

「焼酎ブームというのは定期的に起こるものですが、近年の焼酎ブームもここのところすこしずつ落ち着きを見せ始め、『お客さんが自ら選んで焼酎を飲む時代』が本格的に来ようとしているのを感じます。つまり、酒蔵は美味しい焼酎を造れなければ、これまで以上に生き残れない時代になると思うのです」

だからこそ、いよいよ私たちの出る番だと思っています──。山内は貯蔵庫にずらりと並んだホワイト・オーク樽の列を前に目を細め、そう言葉を結んだ。

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一本の焼酎ができるまで──壱岐スーパーゴールド編

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