妻は海女。夫は釣り師兼、旅人。そんなとある夫婦のことを話題にすると、壱岐島の人たちは皆、口を揃えて「ああ、みなとやさん」と言う。
ちょっとした有名人のこの夫婦は、昨年から壱岐島で唯一のゲストハウス・みなとやを営んでいる。オープンからまだ一年半ほどだというのに、お客さんは口コミで増え続け、リピーターも多い。

いったい、このゲストハウスを営む夫婦とはどんな人たちなのだろうか。そして、島の内からも外からも人が集まり続ける、「みなとや」の魅力とは? ――実際に宿を訪れ、話を聞いた。

壱岐を代表する港町・芦辺浦。海からもほど近いこの町の、かつては遊郭街だったという通りにみなとやは建っている。「宿」という控えめな看板が置かれた入り口を開けると、お客さんと思しき女性が「香菜ちゃーん」と夫婦を呼んでくれた。

 
 

「海に潜ってるほうが気持ちいいんですよね。時化しけで海に入れないと、どうしても体が重いような気がして」。笑いながらそう話すのは、海女である妻の大川香菜かなさんだ。
岩手県陸前高田市出身。民宿を営んでいた実家の目の前は海で、小さな頃から磯遊びをするのが好きだった。「進学を機に上京して、一度は東京で就職もしたのですが、やっぱり海が好きで。いつか、遠い将来は海の近くで暮らしたい、とずっと思ってたんですよね」。

二〇一一年に、東日本震災が発生。香菜さんは、親戚が住んでいた長崎県に家族を連れて一次避難することになった。「私は三兄妹の末っ子なんですが、他のふたりはそれぞれ岩手と東京に住んでいて。何かあったときに九州にも拠点があったほうが安心かなと思い、私だけはそのまま長崎に残って住むことを決めました」。

そんなとき、思い描いていたセカンドライフを早めてもいいのかもしれない、とふと思った。「小さい頃に海に潜って遊んだ、幸せな記憶が忘れられなかったんですよね。自然と『ああ、海女になりたい』と思って……長崎では東京と同じ仕事に就いたんですが、休みの日を使って、海女さんになるための就活をするようになりました」。

もちろん、海女はなかなか募集のかかる職業ではない。あらゆる漁協を探し歩き、人づてにも海女を募集しているところはないかと聞いてまわった。もしも長崎で見つからなかったらどこにでも行こう、という気持ちだった。
「海女になるために役に立ちそうなことは全部しておこうと思って……冬とか、海に潜れないじゃないですか。だから冬場は家の近くの市民プールに通って潜る練習をしてました。普通に泳いだり歩いたりしてる人たちの隣のレーンで、黙々とずっと潜水してて」。

夢が叶ったのは、その一年後。地域おこし協力隊に参加していた知人から、壱岐島で海女の募集が出ていると電話をもらい、すぐに移住を決めた。「海女になれるならもう、行くしかないと思って」。香菜さんは、まっすぐな目で言う。

一途に海女を目指していた妻とは対象的に、夫の漁志さんは肩書きの多い男だ。「釣り師で海士で旅人で、デザインもやるし……何屋さんなんやろ俺」。本人がそう首をかしげると、香菜さんが「自由業?」とフォローを入れる。
そんな“なんでも屋”の漁志さんだが、好きなことを突き詰めて仕事にした、という姿勢は、香菜さんと同じく一貫している。

「釣りは小さい頃からずっと好きやったんですけど、同じくらい絵も好きだったので東京の美大に進学したんです。でも、いざ東京に行ってみたらなかなか釣りができない不満が溜まっていって……。結局、卒業してすぐ壱岐に戻って、福岡で美術の予備校の先生をしながら、全国回って釣りに行って日銭を稼ぐ、みたいな生活をしてました」。

その頃、漁志さんは移住してきたばかりの香菜さんと出会った。「歳も近くて、海のことにも詳しい面白い人がいるよ、って地域おこし協力隊の会社の方に紹介してもらって。釣りとか漁のことをいろいろ教えてもらっているうちに、付き合うようになりました」。香菜さんはそう話す。

それぞれの夢を叶えたふたりだが、結婚を前に新しい夢ができた。それが「壱岐のなかで人が交流できる場所を創るため、ゲストハウスを開きたい」という構想だった。

「香菜の実家は民宿だったとさっき話しましたけど、自分の実家も無料の民宿みたいな感じだったんですよ。祖父が、若いバックパッカーの人とかを受け入れるのが好きな人で。家に帰ったら知らない人がいて、『すいません、歯磨き粉ありますか』とか言われるのが普通の環境だったので」。

民宿ではなく“ゲストハウス”を選んだのは、海女や釣り師という、夫婦それぞれの個性が打ち出しやすいと思ったからだそうだ。

 
 

「結婚する前、ふたりで遊んでるときに、なんとなく俺が『ゲストハウスしたいんよね』って言い出して。そしたら、香菜が『はいはい、やるよ!』って」。
「漁ちゃんはすぐ言うんだよね。言うだけは言う」と香菜さんが笑う。「うん、俺が言う係で、香菜がちゃんとやる係」。
ふたりは二〇一四年に結婚。ゲストハウス開設という夢の実現に向けて、本格的に動き出すこととなる。

後編へ続く)

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海女と釣り師と、島にたったひとつのゲストハウスの物語【前編】

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