自転車で長い坂道を上っていると、前を走る彼が「あ」と声をあげた。
どうしたの、と聞いても、彼は振り返らない。強い風にシャツを膨らませながら、ペダルを漕ぐ後ろ姿はどんどん遠ざかってゆく。

「どこ行くの!」
怒鳴るように言うと、ようやく彼はこちらを見て、「この先に干物屋がある!」と叫んだ。

自転車を停める彼の横に、並べるように自転車を置く。からかうような口調で「干物って」と言うと、彼はキョトンとした顔でこちらを見た。

「いや本当においしいんだよ。お土産に買ってこう」
「いいけど、あんな目を輝かせて言うようなことじゃないでしょ。干物だよ」
「さては干物を馬鹿にしてるな」
彼は汗ばんだシャツを一枚脱いでTシャツになると、目の前に並ぶ魚の列を指さした。

「こんなの都会っ子は見たことないでしょ」
「うん、ない。ちょっとびっくりした」
店の前にずらりと並ぶ魚の干物を眺める。サンマやアジ、イワシが、太陽の下で辺り一面に香ばしい香りを振りまいていた。

「でもさ、こんな路上で魚大量に干してて、盗まれたりしないの」
「誰がこんな小さい島で魚盗むんだよ。来たとしても猫だよ」
思わず笑ってしまうが、そうか、そういうものか、と思う。

「島の人ってさ、玄関に鍵かけないって本当?」
「うーん、まあ、かけないこともあるけど。でもさ、マンションに住んでて同じ階に住んでる人のこと大体知ってたら、近くの買い物くらいは鍵かけないことあるでしょ?」
「うん、たしかに」
「それとおんなじじゃない」

なるほどね、と私が言うと、彼はそうだよ、と笑った。

 
 

君に故郷を見せたい、と言い出したのは彼だった。
暖かくなったらどこか旅行に行こう、という話をしていて、私が「のんびりできるところがいいな」と言うと、彼が「あ」と叫んだのだった。「じゃあ壱岐だ」

高校進学と共に家族の転勤で関東に引っ越してきた彼は、中学生の頃まで壱岐島に住んでいたという。島育ちというのは聞いていたけれど、正直に言って壱岐島という場所のことはそれまで名前しか知らなかった。
「観光スポットは、本気出せば一日で全部回れるから」
そう言って一泊でプランを組もうとした彼に、「二泊にして。二日目は育ったところを案内してほしい」と伝えると、彼は狐につままれたような顔になった。

「見せるようなところないよ。普通の島だよ」
「ううん。普通の島が見たいんだよ」

いざ壱岐に来てみると、彼は想像していたよりもずっと楽しそうに島を案内してくれた。
「ここ上った先、急に海になるから見てて!」
「この駐車場、野良犬が住み着いてたんだ。まだいるかな」
レンタサイクルの自転車を少年のように乗り回す姿を見ていると、やっぱり二泊にしてよかったな、と思えてくる。
昨日行った湯ノ本温泉や辰ノ島ももちろん楽しかったけれど、彼が珍しく興奮したように走り回る姿を見るのは、子供時代の彼を見ているようでおもしろい。

「ねえ、やっぱり中学生の頃のデートって、海見に行った?」
「あー、行くね」
「いいなあ。海で告白とかした?」
「馬鹿にしてるでしょ。普通にイオンとかも行くから」
私が声を出して笑うと、彼も恥ずかしそうに笑った。

 
 

どうしても見せたいものがある、と言われたのは夜だった。
春とはいえ、日が落ちるとさすがにまだ肌寒い。薄いコートを羽織って自転車を走らせていると、時折前を行く彼の白い息がライト越しに見えた。

辿り着いた先は海岸だった。唸るような波の音に耳を澄ませながら海を見ていると、彼が自分のシャツを私に掛けて、ほら、と言った。

「寒いでしょ」
「寒くない。島育ちだから」

じゃあなおさら寒さには弱いんじゃないの、と言いかけて、彼が見上げた方向に目をやると、思わず言葉を失ってしまった。

「すごいでしょう」

満天の星空だった。視界に入りきらないほどの星は、宝石を撒いたように上空できらきらと輝いている。カメラのシャッターを切るのすらためらわれるくらい、空は大げさなほどに明るかった。

「すごい、水平線まで続いてる」
彼は半袖になった腕をさすりながら笑う。
「ここから見る星がいちばん綺麗だから、見せたかったんだよ」

そう話す彼の横顔は、私の知らない顔だった。
私の知らない場所で、知らない彼に出会う。それは一見、心地が悪いようでいて、不思議と懐かしさを感じさせる出来事だった。この島のことを、この島で育った人のことを、もっと知りたいと思った。

「ねえ、いつか私もここに住むってこともあるのかな」
つぶやくと、彼は空を見上げたまま、ひとつ大きなくしゃみをした。

【壱岐のあれこれ #11】

壱岐島で美しい星空を鑑賞するのにおすすめなのが、筒城浜海水浴場です。
夏にはキャンプや海水浴を楽しむ観光客で賑わう海水浴場ですが、隣接する芝生の「筒城浜ふれあい広場」からは、建物に邪魔されることなく一年中美しい星空を臨むことができます。

観光客の方はもちろん、地元の人もしばしば訪れるという筒城浜は、壱岐の自然の雄大さを感じられる隠れた名所。夜の散歩がてら、筒城浜まで足を伸ばしてゆっくりと星空を眺めてみるのも素敵です。

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君を知る旅

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